茨木オランダ屋書店の日記

ヒゲさんと親しまれていた名物店長、本部隆一さんが急死して一ヶ月が過ぎようとしています。
各地の本部ファンにお知らせを兼ねて、改めて、氏のご冥福を祈るものです。

謹みて ここに 今は亡き本部隆一君の魂にお別れの言葉をささげます

本部さん、君は永い間こんな僕に付き合ってくれて
君の貴重な大切な時間をオランダ屋書店の為にささげてくれました
本当にありがとう

思い出してみると十八年になりますね
初めてお客として顔を出した時の事良く憶えていますよ
学生だったね
ヒゲはまだ鼻の下にあるだけだったが
すでに風格が有りましたよ

改めて気付いたんだが私より八才年下だったんですね
君の体格と落ち着きが年齢差を感じさせなかった
店が株式会社になってからも 僕は君には社長と呼ばせなかった
二人で話す時は本部さん 園田さんだったし 敬語でしたね。
その間 二度程店をやめて又帰って来てくれた
それからずーっとだから何かの縁だったんですよ

一度やめて帰って来た時 「別にケンカ別れした訳ではないので」と君が言ったのが印象的でしたよ

今度は僕が言います
「ケンカ別れした訳ではないんですよ」 帰って来てください

今も何度も行ったインドやポルトガルから二、三週間すると帰ってきてあの店に座っているような気がしているんです

君は例えば僕が「今日は暑いネ」と軽く言うと
「いや今日は昨日よりましですヨ」と答える人でした
君が答える様に確かに昨日の方が暑いのです
普通は「そうですネ」で済ますのですが
君らしい又学者らしい正確な答えでないと気が済まない誠実さでした

僕の心残りは こんな人柄の君に学者の道で大成して欲しいという思いが有りましたので
無理に本屋一筋の道をすすめなかった事です
大学教授と物書きの道の途中で手助けが出来ればという考えでした
君にはその可能性が大いに有りましたから

そして四十三才 実に若い死だ
本当に短いがエネルギッシュで忙しい一生だったネ
皮肉に聞こえますか

これから色んな事が出来たしもっと本も出せた
残念だね 実にもったいない 可哀想ですよ

君が一方の道を捨てまるまる本屋になっていたらもっと長生きできただろうか
又 本屋をやめて学校と著作に専念できていたら死ぬこともなかったのではと思うとですね
本部さん 僕は心残りなのですよ

僕たちのオランダ屋書店は少しずつ店も増え
お陰様で知る人ぞ知る本屋といえるぐらいにはなりました
変わる事無く誠実にお客に接して本店を守ってくれた君には感謝していました

今思うと昔を語らず前ばかり見て 普段のねぎらいの言葉も少なかった様に思います

こんな形でねぎらいを言ってももう遅い
ゴメンナサイ

君の同僚であり可愛がってくれた若い子達も大山君をはじめ河内山君・鍋島君
高槻店や島本・吹田店の皆立派な若い木に育っています
君に似て誠実で正直でやさしく 少し頑固者です
どうかいつまでも静かに見守っていてください

長くなりました
君も相当理屈っぽかったが僕も相当だと思っているでしょう
尽きないが 今日の写真はなかなかいいよ
好きだった宝塚のスターと並んで写した写真だそうだね
そういえば君の写真の腕前もプロ級だった
何よりも君の書いた本の評判も良かった
毎日新聞に大きく出たネ 僕も鼻が高かった
そして 好きなお酒は沢山飲みましたか
もう一つ SL線路がなくなるといって北海道まで出かけましたね
本部君 SLの汽笛は聞こえますか

好きな事を好きな様にやらせてくれた奥さんには感謝しているだろうね

君のお母さんと奥さんが「隆一が大変お世話になりました」と手を握ってくださった
涙が止まらないよ

僕達が君の分も大切に守って行くから 心配しないでください

本部さん 僕のわかれの言葉を聞いてくれましたか

それじゃ さようなら おやすみなさい

平成十一年七月二十二日 オランダ屋書店 園田久行

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